DANCING TOWN MINAMI  
ミナミダンス物語

  それは歴史と文化の悪戯なのかもしれません  
 40年代後半の大阪GHQダンス
敗戦後の大阪の娯楽場は当然の如く、進駐軍人達の為に作られました。まだ焼け跡が
痛々しい昭和23年頃には、現在の難波高島屋百貨店の地下ホールで、毎夜、ジャズバ
ンド演奏とダンスパーティーが行われていました。当然、外国人専用で日本人で入場が
許可されていたのはバンドマンと歌手、ダンサーと一部の日本人女性だけでしたから
ほとんどの大阪人の記憶にはありません。しかし、その余波で現在の本町に舞踏館と
いう米軍用ダンスホールがあり、周辺にはダンス教室が多数あり、本町ではダンス人口
が能動的に集中していたそうです。※当時の日本人女性ジャズシンガーにインタビュー
し、裏取りもしてあります。
 50年代のロカビリー東京
関東ではリーゼントにツイストで「50's」と呼ばれるロカビリーブームが沸き上がりました。
しかし先輩達(現在70歳前後の)に当時の事を聞くと、独自の文化を持つ大阪ではそれ
ほどの盛り上がりは無かったそうです。
 60年代のGS関西
60〜70年代にかけては新宿や銀座のACB(アシベ)と双璧をなす「ナンバ一番」を中心と
したジャズ喫茶がブームだったそうです。ジャズ喫茶とは今で言えば喫茶店ではなくライ
ブハウスの事で、この「ナンバ一番」は、タイガースやオックスなどがメインバンドでGS
(グループサウンズ)時代を築きました。しかし、彼らが活動の場を東京に移しだすとGS
ブームも去る事となり、併せて「ナンバ一番」も69年頃閉館となりました。
 70年代のミナミ
世はまさに高度成長時代、ミナミは一際輝くネオンと看板で大阪の遊び人達が集まりま
した。道頓堀の北側、宗右衛門町の中でも、群を抜いて大きいビルで今や伝説となった
ダンスホール「富士」という、最大の観客収容数と生演奏の専属バンド数を誇っていた、
巨大ダンスホールがありました。「富士」は「富士観光」という大きなビルの中にあり、そ
の歴史は古く、戦後まもなく「富士ビル」として誕生しました。1階は「ダンスホール富士」
2階はサパークラブ「パテオ富士」3階はキャバレーになっており、そのいずれにも生バン
ドが共通で演奏し、年中無休でいわゆる総合娯楽施設でした。「ダンスホール富士」は
社交ダンス用に作られ1階のほぼ全てを占める広いダンススペースがあり、早い時間帯
は社交ダンスタイムで、年齢層の高いお客さんがゆったりと自由に踊っていました。夜
はロックタイムで、様相が一変します。演奏は主にビッグバンドによる生演奏で専属バン
ドが複数常駐しており、1ステージが20〜30分程度で次々に交替します。ホール北端が
一段高いステージで両脇ではミニスカートでゴーゴーガールが踊っていました。平日の
ロックタイムは夜だけで専属バンドのみですが、土日は午後からロックタイムで外人バン
ド等のゲストが呼ばれ豪華ステージでした。※ 私がミナミデビューしたのがこの頃で富士で踊っ
ていました。高校生でしたが・・・  他にも「ユニバーサル」「メトロ」「クイーン」「パラマウント」
「花園」「ワールド」「美人座」「本町 OBK 大阪舞踏会館」「日本橋レインボー」「梅田アス
ストロメカニクール」と大阪はダンス全盛期でした。
 80年代 ダンスホールからダンスバーに
当然ながら時代は変化しミナミも時代に併せて転換します。ダンスホールは閉館され
ディスコが次々と出来ました。ダンスも映画「サタデーナイトフィーバー」の影響もあり変
化しました。しかしミナミでは笠屋町で「 ダンバー363」「 ダンバー363パート2」と富士ダ
ンスの流れを汲む店が盛況でした。この頃、富士では分離していた社交ダンス世代と
ロック世代が妙なかたちで融合されました。社交ダンスの行き場が狭くなった大人達と
ディストでは子供すぎる青年達がミナミのホステスさんを媒体として独自のペアダンスを
踊り始めました。
 2001年1月31日、ワールド閉店
すこし残念な事に富士出身で後にメジャーになったバンドや歌手はおらず、その為か大
阪一の規模を誇ったダンスホール富士も今ではあまり語られる事もありません。道頓堀
の「TSUTAYA」は「ナンバ一番」があった場所で「宗右衛門町モータープール」が「ダンス
ホール富士」の跡地です。そして社交ダンスの最後のシンボル、梅田「ワールド」も閉店
しました。思い出話は出来ても次世代に伝えることは難しいです。ヤング達はクラブやス
トリートで、R&Bやフリースタイルダンスを踊り、アダルトにはシャルウィダンスがちょっと
ブームになっています。しかい融合はされることはありません。もし大阪の歴史と文化か
ら生まれた伝説の「ミナミダンス」という媒体を復活させる事が出来れば、そのお役に立
てれないかと考えています。

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